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峠に棲む鬼「イラスト分析25」・・・代表的凌辱場面を考察する(その3) [峠]

お久しぶりです。

「峠に棲む鬼」の主人公である逢魔麻紀子は、男という男に数え切れないほどの凌辱をうける中で、初めの頃は「女は犯されることに快感は感じない。」と考えていましたが、ある時点から急に「感じる」ようになります。
じつはそのことが、麻紀子が「レイプの被害者」から「性交奴隷」に代わった分岐点になるのですが、そのターニングポイントが、今回ご紹介する場面です。

今回も、このブログなりの大胆な解釈(個人的見解)を述べさせて頂きたいと思います。

余談ですが、東スポ版を見る手段は今日かなり限られており、国会図書館などに記録された「マイクロフィルム」で見られる程度ですが、ご興味があるかたは夏期休暇を活かしてご覧頂ければと思います。
ちなみに、「新聞そのものを借りる」ことはできません。
その場で記事の閲覧は可能ですが、一度に見られる「フィルム」の数は制限されており、持ち帰りたい場合は、有料でコピーを頼むしかありません。
うる覚えですが、コピー1枚「数十円(百円だったかも?)」かかるので、すべてほしいと「総計250枚くらい」ですので、数千円から数万円かかると思います。
なお、「西暦何年の何月何日から何月何日」の東スポかわからないと閲覧希望を出せないので、事前に調べておくことをお勧めします。
その上で、「どのページに掲載されているか」をその場で確認し、そのページのコピーを依頼します。
コピーもそれなりに時間がかかるので、待っている間の暇つぶしも必要ですし、すべてのコピーを入手するには数日かかるので、やはりお勧めは夏季休暇中ですね。



<独自の解釈なので、不要な方は以下を「ご覧にならない」ことを強くお奨め致します>



あらましです。

「峠に棲む鬼」東スポ版92回のサブタイトル「中年の男が入ってきた。麻紀子に裸なれと命じ、自分もズボンを脱いだ」、東スポ版93回のサブタイトル「男は猿に犯させるといった。麻紀子が嘆願すると、ベッドへ引き倒した」、東スポ版95回のサブタイトル「男は腰を使いはじめた。麻紀子の股間を火の棒が灼いていた」、東スポ版99回のサブタイトル「麻紀子は再び中垣につかまった。ベッドにうつ伏せにされてまた…」の場面です。


さて、事件の手がかりを探しに多摩丘陵までやってきた高時と麻紀子父娘を、関東製薬の闇組織が襲います。そして、麻紀子はふたたび拉致され、男たちの性交奴隷として監禁されてしまいます。
場面はそこからのスタートです。



昼か夜かもわからなかった。
牢獄のようなところに逢魔麻紀子は閉じこめられていた。
どこかの地下室のようだった。倉庫を改造したらしい。八畳ほどの部屋だった。一応、トイレとバスは付いていた。周囲の壁も天井もコンクリートだった。その上に、化粧板を張ってある。部屋には鉄製のベッドが置いてあった。そのほかには家具は何もない。
殺風景きわまりなかった。
組織員の仮泊所か何かに使われているらしい。
電気ストーブが入っていた。底冷えのするコンクリートの部屋もそれでどうにか暖をとることができた。
両手には手錠がはめられていた。
ベッドに腰をおろして、麻紀子は今日が何日かを考えていた。たぶん、一月の八日かそこらだった。多摩の丘陵でとらえられてから二日はたっていた。いや、あるいは三日かもしれない。陽の射すことのない地下牢だから、時間の経過がわからない。判断の助けになるような物音もしなかった。
脱出は不可能だった。ドアは頑丈な鉄製だった。叩こうが蹴ろうが、ビクともしなかった。
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
ここでは、麻紀子がいま置かれている情景が描かれています。
脱出不可能な状況であること、逆らったり、杖術が使えないように手錠をはめられていることがわかります。
そして、麻紀子もただ大人しくつかまっているのではありません。
鉄製のドア相手に脱出を試みたり、部屋中を探り回ったりしたことがわかります。そして、今日が何月何日なのかを考えているということは、いつでも組織の隙を突いて脱出することを、あるいは反撃の準備を心づもりしていたことが、ここでわかります。
また、この説明により、多摩丘陵から拉致されてすでに数日は監禁されていることから、麻紀子の身にすでに何かが起きている(あるいはいまから起きる)ことへの期待感を読者に感じさせようとする作者の意図が感じられます。




足音が近づいてきた。
ドアが開けられて、男が入ってきた。中年の男だった。頭が薄い。大男の部に入る。腹が出ていた。男はドアの鍵をかけて、麻紀子の前に立った。
麻紀子は無言で男を見上げた。男が何をしにきたのかは、訪ねるまでもなかった。男の薄笑いをみればわかる。
「手を出せ」
男に命令されて両手を前に出した。
男は手錠を外した。
「裸になれ。それと、いっとくが、何かをいわれたら、ハイと答えるのだ。おれは黙っている女は、嫌いだ」
太い声だった。
「はい」
答えて麻紀子は裸になった。
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
このやりとりで、麻紀子が目の前の男とは初対面であること、そして、部屋にやってくる男がだれであっても、表面上は服従する覚悟を決めている心情が描かれています。
男は、麻紀子をみて薄笑いを浮かべます。
おそらく、すでに麻紀子を犯した他の組織員に感想を聞いているのでしょう。期待に顔をゆがめている情景が浮かぶ描写です。

麻紀子は男が部屋に入ってきても、無言で見上げるだけで、自分から能動的に動こうとはしません。それで、麻紀子の嫌悪感や反抗心を、男は悟ります。麻紀子が常に脱出を思い描いていることも、おそらくは感知したでしょう。
だが、現実は麻紀子は男たちの性交奴隷です。ここでは、男はそのことを麻紀子に思い知らせる為に、強いて、一つ一つ順に、麻紀子がすべきことを言い聞かせ、奴隷としてすべき行為を麻紀子の脳裡に刻み込ませようとしたわけです。




「今日は、おまえは、おれの奴隷だ。かならず、ハイのつぎにはご主人さまとつけろ」
「はい、ご主人さま」
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
本作中、ここで初めて麻紀子が性交奴隷として飼われている描写が登場しました。
初めにとらえられた時は、「飼われている」「性交奴隷」というよりも、数人の男たちに「レイプ」された「被害者女性扱い」でした。
ですので、麻紀子の性交奴隷としての本格スタートはこの描写からになります。
このときの麻紀子本人には知るよしもありませんが、以降、西ドイツから帰国するまでの数ヶ月間、仕えるご主人さまが代わりつつも、性交奴隷として飼われつづけることになるのです。




「よろしい、床にひざまずけ」
「はい、ご主人さま」
麻紀子は、男の前にひざまずいた。
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
男は目の前で徐々に裸になっていく麻紀子を眺めています。ジーンズの上着を脱ぎ、シャツも脱ぎ、ブラジャーを外し、ジーパンを脱ぎ、最後にはパンティを取る。徐々にあらわになっていく、長い黒髪、白い肌、豊かな乳房と尻、すらりと伸びた足、引き締まったウエスト。
中垣ですら感嘆の声を上げる「すばらしい体」です。
そして、その麻紀子が、自分のどんな命令にも言いなりになります。
素裸で自分の前に跪いた麻紀子は、まさに美の女神であり、また奴隷女そのものです。
その女が自分に隷従している姿をみて、男の期待は頂点に達したのでしょう。
期待に男根が怒張しているのがつぎの描写からわかります。




男はズボンを脱いだ。下半身も裸になって、麻紀子の前に突きつけた。麻紀子は黙ってそれを口に含んだ。男はゆっくり腰を使いはじめた。
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
男はおのれの男根の立派さに自信があるようです。黙って、麻紀子に「突きつけ」見せつけたからです。
「突きつけた」男根は、すでに怒張していました。麻紀子が「擦る」でもなく、それを口に含んだからです。
男は、命ずることなく、突きつけました。麻紀子がどんな態度に出るか、確かめようとしたのでしょう。目の前に怒張した男根を突きつけられて、奴隷であれば従順に仕えるはずだと。
その通り、いきなり麻紀子は口に含みました。
男は征服欲を満足させたことでしょう。

ここで気になる描写があります。
麻紀子は「黙って口に含んだ」とあります。
麻紀子は「それなりの気性の持ち主」であるとされています。男たちの言いなりになりつつも、態度の端々にそれが表れているのだと思います。
いまでいう「ツンデレ」というところでしょうか。
二十人前後の男たちに仕えさせられたといっても、麻紀子には性交奴隷になった自覚はないはずです。麻紀子にとって、男たちの凌辱は一時的な嵐のようなもの。強固な精神力が、嵐が過ぎ去るのを、復讐の機会が訪れるのをうかがっています。従って、奴隷女としての振る舞いも理解していませんでした。いわれたまま、従うだけがいままでの麻紀子です。そういった背景があった上での「黙って」は、おそらく「不平不満を押し殺して」、「表情を押し殺した」麻紀子ではないかと考えられます。
一方の男も、麻紀子の貌を見て心情を理解しています。
口に含んだとはいえ、「黙って」口に含んだ麻紀子を見て、麻紀子の反抗心を理解したでしょう。
麻紀子が自分から積極的に男根を愛撫するとは考えていないはずです。
そのため、あるいは麻紀子の頭を両手で固定しつつ、男自ら、腰を使ったのでしょう。奴隷としての状況を心身共に理解させる為に、あるいは男根を喉まで押し込んで責めたのかもしれません。




男は充分に堪能すると、ベッドに腰をおろした。麻紀子は男の膝の間に引き寄せられて、擦るように命ぜられた。男は膝で麻紀子を抱え、足の踵で麻紀子の尻をなでていた。麻紀子は擦りはじめた。
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
ここで初めて、麻紀子は手での愛撫を命令されました。
いきなり舐めさせてから手での愛撫というのは、一般的には順序は逆です。美貌だけでなく、すばらしい体をみて、仲間からの話を聞き、男が「たっぷり時間をかけて」、麻紀子との性交を愉しもうと考えていることが、この描写からわかります。




「今日までに、何人にやられた」
「十人か、十二、三人です」
「みんな、こうしたのか」
「はい、ご主人さま」
「そうか……」
男はそれっきり黙って、麻紀子の白い指の愛撫を見下ろしていた。
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
仲間が何人いるのか、男は把握していません。
組織員ですら、組織の全貌を把握していないことで、組織の闇性がどれだけ深いのかを、作者は読者に理解させようとしています。
そして同時に、麻紀子に過去の凌辱の情景を思い出させることで、もはや「人間の女としては扱われていない」性交奴隷なのだということを、麻紀子自身や読者に改めて思い知らせようとしていることもわかります。
また、他の男たちが麻紀子をどう扱ったのか、知りたいというのも男心でしょう。

男は麻紀子の技巧に満足しているようで、指の愛撫に文句を言いません。
中垣明に拉致されてから、麻紀子はすでに二十人前後の男を経験しています。どこをどう愛撫したら男が喜ぶのか、男の壺を理解するようになりました。
男はそんな麻紀子の「堕ち具合」を満足そうに眺めているのが、この場面です。




「仲間に牡猿を飼っているのがいる。おまえをその牡猿とやらせようとする計画がある」
男は嘲笑混じりの声を落とした。
「おまえの、そのすばらしい体を、牡猿が犯すのだ。猿が前からやるか、後ろからやるか、おまえ、知っているか」
「いいえ、ご主人さま」
「牡猿は人間の女を与えると、まず、体中を調べるそうだ。黒子があると、つまんで取ろうとして血を出すそうだ。毛づくろいという行為だそうだ。黒子の多い女は血だらけになる。そうやって愛情を昂めてから、やおら、おまえの尻を抱く……」
男は声もなく笑った。
「猿でも犬でもそうだが、一度、自分が犯した女は自分の所有物だと思い込む。人間の男が傍に寄ると、牙を剥くのだ。おまえ、その牡猿の妾になるわけだ。つねに、猿に四つん這いにさせられて、そのきれいな尻を、犯される」
男はつづけた。
「おゆるしくださいませ。ご主人さま。そればかりは」
逢魔麻紀子は懇願した。
やりかねない男たちだった。牡猿に犯させて、それを異様な目で見物する。悪寒が走った。猿に尻を抱えられている自分の姿が浮かぶ。そうなれば、もう、舌でも咬み切って死ぬほかはなかった。
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
ここで獣姦の話題が初めて出てきました。
他の西村作品では、主人公が裏切られた奥さんに復讐する為、猿の群れに放り込むという作品があります。




亜紀の差し出した尻に最初の猿が近づいた。
猿はうしろから陰毛を分けて毛づくろいをはじめた。
貌をつけてにおいを嗅いだ。性器をいじりはじめた。
ー殺さないでください。殺さないでください。
亜紀は懸命に祈った。
猿は亜紀のかかげた尻に乗った。男根を差し込んできた。後足で亜紀の太ももを掴んでいる。猿は数回、男根を突きたてた。
亜紀は祈りつづけた。尻をさらにかかげて性器を剥き出した。
猿はふたたび、陰毛の毛づくろいをはじめている。性器をいじっている。
しばらくして、また亜紀の尻に乗った。
こんどが本番であった。人間の男と同じ動きで責めはじめた。男根が膣を突いている。三十秒ほど責めたてて、猿は射精した。
(症候群 べし見(べしみ)の貌より)
この作品は、保険金をかけられ殺されかけた夫が、逃げた妻(亜紀)と愛人を山深い山林にまで追い詰め、猿を利用して復讐するというものです。
妻の愛人は猿に殺され、妻は猿の性交奴隷になってしまいます。狂気に浮かされた夫は、別の女を誘拐し、妻と共に猿に与えるのですが、最後は野犬の群れが猿と夫を襲撃し、女たちだけが残される(助かる)というストーリーになっています。
それによれば、猿は「毛づくろいが愛撫」、「男根は人間のよりは小さい」、「後ろ足で女の太ももを掴んでの後背位」、「挿入しては離れて、また挿入を繰り返す」、「精液はすぐにガム状に凝固する」と、その場面をかなり詳しい描写で描いています。
話は横道にそれますが、猿の奴隷になった亜紀を最後に助けたのは野犬の群れでした。犬を正義の味方で終わらせるところは、犬好きの西村先生らしいストーリーですね。




「立て」
「はい、ご主人さま」
裸をみせろと命じた。麻紀子は男の前に立って、前と後ろをみせた。
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
男はおびえた麻紀子の表情を見て、満足したのでしょう。あるいは「猿との性交」については、冗談だったのかもしれません。あるいは麻紀子の心に秘めた反抗心を見抜き、従わなければ獣姦だぞと脅したのでしょう。
麻紀子が本気でおびえたのを見て、いよいよ、男の凌辱はつぎのステージ「視姦」に移ります。
男は、麻紀子の裸身をじっくり観察します。
それがどれだけすばらしいのか、徳間ノベルス上巻の挿絵にも描かれています。
1970年代の日本女性としては、現実にはあり得ないほどのプロポーションです。
後述ですが、ドイツ人のクラインでさえ、麻紀子は虜にしてしまうのです。
いま改めてみても、山野辺先生の画力のすばらしさに驚嘆してしまいます。




男はしばらくみていて、いきなり、無言で、引き倒した。麻紀子はベッドに倒れ込んだ。男が両脚を引き裂くように拡げた。そして、股間に舌を入れてきた。男の舌は動物のようによく動いた。
麻紀子はじっと耐えていた。
不快感だけがある。とらえられ、ここに閉じこめられてから、すでに十数人の男に弄ばれていた。とらえられた瞬間に覚悟したことではあったが、それにしても、男の性欲の勁さがあさましかった。
執拗をきわめていた。一人が何時間もかけて犯した。爪先から唇までたんねんに舐める者もいた。乳房や性器を一時間もさわっている者もいた。
抱いて寝たまま、肌の感触をたのしんでいる者もいた。
へどが出る思いがした。
だが、逆らえなかった。逆らっても無意味だった。棒がなければ、男の力には勝てはしないのだった。どれもこれも殺し屋じみた男たちだからなおさらだった。
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
ここで初めて、多摩丘陵で拉致されて以降の、麻紀子の具体的な状況が明かされました。
男たちはじっくり時間をかけて愉しんでいます。「名器」である麻紀子には簡単に挿入したりしません。そんなことをすれば、あっという間に自分の番が終わってしまうからです。経験したことがないほどの美しい女が裸で目の前に転がっているのです。「舐める」、「肌の感触を愉しむ」は当たり前。とくに、性器や肛門を舐めることは当然だったでしょう。男ならだれでも美しい女を感じさせて征服した気分になりたいものです。
この男もそうでした。
初めて見る絶世の美女の性器。何をしても女は逆らいません。男は技巧を駆使して、麻紀子を感じさせようとしました。それが「動物のように」の動きです。

実はここで初めて、麻紀子が男たちに逆らわないことへの言い訳が出てきます。
「棒がなければ勝てないから逆らわない」という描写です。
これは、麻紀子がこののち「性交奴隷に墜ちる」ことへの布石ではないかと考えられます。「男には勝てないから逆らわない」、「脱出できないのだから性交器具になるのは仕方がない」、「男が自分を奴隷女としたいのだから従う」との言い訳の連鎖で、麻紀子はおのれを納得させていきます。
このロジックはすぐに後述されていきます。

話は戻りますが、男の意に反し、この時点では麻紀子は感じていません。
二十人前後の男たちに凌辱され、麻紀子はおのれの危機的状況を理解していました。麻紀子の凌辱は、殺されることが前提です。男たちは顔も隠しません。そんな状況では感じるはずもなかったのでした。
そのため、男は麻紀子の言い訳が立つよう、計画を変更します。




いずれは殺されるーそれは、わかっていた。
組織の狙いは父の逢魔高時だった。娘を人質にしている限り、高時は真相をばらさぬ。ばらせば、娘が死ぬ、やがて、組織は麻紀子を餌に、高時をおびき寄せる。
そして、二人を殺す。
高時にはかならず真庭正之が同行する。真庭も殺す。それで、組織は悪夢を忘れられる。
前回は、組織は失敗した。油断して、真庭と麻紀子を取り逃がした。あのときといまでは状況がちがう。組織の存亡がかかっている。二度とヘマはやるまい。麻紀子はそのことを承知していた。もう、決して逃げられない。このまま、男たちの性器具となって、死を迎えるしかないのだった。
だが、牡猿の女にならされて、勝手気ままに犯されることは、人間としての矜恃が許さなかった。
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
どんなことをしても脱出は不可能。自分は死ぬまで男たちの「性器具」であり、「性交奴隷」として飼われているのだと、麻紀子はこのとき自分に言い聞かせました。
それがこの「言い訳」の描写です。
ただ、その状況の中でも、猿との獣姦だけは拒絶したい麻紀子でした。その助け船がつぎの男のことばであり、麻紀子はそれに乗ったわけです。




「猿の女になりたくなければ、よがり声を出せ。泣け。けものになれ」
男は、顔を上げていい、すぐにまた舐めはじめた。
「はい、ご主人さま」
どういえばよいのか、ともかく、麻紀子は声をたてた。ああ、ご主人さま、おゆるしくださいませ。いえ、犯してくださいませ。ああッー。そのほかに考えられるかぎりの、犯されてもだえる奴隷女の状況を想像して、口にした。
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
この助け船は麻紀子の自分への言い訳の決定版になりました。
男もあるいはそれをわかっていったのかもしれません。
猿の女にならない為に、「泣いて」、「よがり声を出し」、「けものになる」のは仕方がないことだったのです。
それ以外に、麻紀子に残された手段は何もなかったからです。
女は言い訳さえあれば自分を納得させられる。
麻紀子が従うことは、男にはわかっていたのでしょう。
ひょっとすると、猿を飼っているのはウソかもしれません。
でも麻紀子は男に従う決心をします。
男に征服されることを、麻紀子はこのとき覚悟するのです。

西村作品は一見では「エロ小説」と思われがちです。
しかし、エロ小説なのだから、レイプされても女は感じても当たり前という理屈は、西村作品には通用しません。
いままでの展開をご覧頂ければわかると思いますが、「何も感じなかった」麻紀子が、男の凌辱に最後には「征服されてしまう」のは、「言い訳」が大いに関係しているのです。
要するに、「女が征服される(男も同じでしょうが)」には、精神的な要素が大きいと述べているのです。
現実その通りではないでしょうか。
一時期、若い女性のファンが多かったということもそれを物語っている(自分の妄想に違和感なく当てはめられる)のだと思いますし、私自身も常磐線の車内で、隣に座った若くてとても可愛い女性(小柄で、小貌のショートカット。残念ながらスカートでした)が文庫本の「晩秋の陽の炎ゆ」を隠すことなく堂々と読んでいたのを目撃しています。
平日の午前中だったので、たぶん彼女は学生だったでしょう(高校生ほど若くなかったので、女子大生か短大生か専門学校)。松戸あたりから乗車し、北千住あたりで降車していきました。
いま考えると、あのとき何で彼女に声をかけなかったのか、心から後悔していますが(笑)、それだけ一時期の西村作品はリアリティーがあったということの証明ではないかと思います(彼女がBL好きでないと信じたい)。




男はそのことばに耐え切れなくなって、麻紀子をベッドから半分引きずり下ろした。ベッドに体を折り曲げられて、麻紀子は男に尻を抱えられた。
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
自分から振った話でしたが、麻紀子が乗ってきたことで、男はとうとう我慢ができなくなりました。
麻紀子を後ろかた責めはじめました。
すばらしい真白い尻を抱えての責めです。
後背位とも、うしろからの立位とも受け取れる描写です。
男の目の前にも、麻紀子の「若さを示す背筋の凹み」と「尻の豊かさ」が拡がっていたことでしょう。
「名器」の締まりを味わいながら、男の長い責めがはじまります。

実はこの時点ではもう、後述にもありますが、麻紀子の体は反応していたと推測できる描写がされています。
男に命令されるまま、声を出しつづけていたら徐々に感じてしまったと、麻紀子本人も思い込んでいるのですが、すでにこの時点で麻紀子の性器は濡れていました。
麻紀子の「小さな」性器が巨根を苦痛なく受け入れたからです。




たえず、麻紀子は呪文のように大きいとか、すばらしいとかのことばを吐きつづけた。そうしているうちに、いつしか、麻紀子はことばに支配されはじめていた。ことばに真実味が出てきていることにふっと気づいた。遊びがなくなっていた。男のものが体の中で動くたびに、おそろしいほどの快感が生まれつつあった。何か、危険を告げるような怒濤が生じていた。
(上巻 第八章 虜囚 1項より)
いよいよ、麻紀子の中に潜んでいた「奴隷女」の貌が表れます。
愛のない、見知らぬ男の性に仕える事も苦痛ではなくなります。
「男根の味」をとうとう憶えたからです。
クリトリスでしか感じなかった麻紀子が、凌辱を受けても膣で感じるようになります。もうこうなると、「鶏が先か卵が先か」ではありませんが、「凌辱されて気持ちいいから、もっと男根が好きになる」のか「男根が好きだから、凌辱が気持ちいい」のか、いずれにしても際限がなくなります。凌辱を受けるたびに麻紀子の奴隷性は深まってゆきます。
そして、ここでは麻紀子が大きな男根が好きなことも明らかにされました。

とらえられてからこれまで、ずっと心を閉ざしていた麻紀子でしたが、言い訳を繰り返し、心を開いたとたん、男の男根のすばらしさに気づいたのでした。
それがこの瞬間です。
男は「名器」である麻紀子に対しても一方的に責めつけます。
「支配された」麻紀子に残されたものは、「ご主人さま」の命令通りに「感じて」、「征服される」ことだけでした。




たえず、麻紀子は呪文のように大きいとか、すばらしいとかのことばを吐きつづけた。そうしているうちに、いつしか、麻紀子はことばが真実味を帯びてきていることにふっと気づいた。遊びがなくなっていた。男のものが体の中で動くたびに、おそろしいほどの快感が生まれつつあった。何か、危険を告げるような怒濤が生じていた。
「ああッ!」
麻紀子はベッドをつかみしめた。
(東スポ版 第六章 虜囚より)
ノベルズ版、文庫版と異なり、初めに描かれた東スポ版ではこのような描写になっていました。
ひとつは、「麻紀子がことばに支配されはじめている」描写が追加されていること。
もうひとつは、「麻紀子が声を出して感じている」最後の描写が削られていることです。
ひとつめの方は、「支配」ということばにより、麻紀子の性交奴隷としての状況をより的確に描写したい作者の意図の表れと思われます。
男が心身とも麻紀子を征服したいが為、おのれの状況を口走らせたのは、まさにコレにあったのです。
男の狙い通り、麻紀子はことばと男根の両者の責めに征服されます。
ですので、ノベルズ版や文庫版で「麻紀子が感じている」最後の描写が省かれたのは「征服」された麻紀子を的確に表す点では、個人的には少々残念に思っています。

いずれにしても、逢魔麻紀子が「奴隷女」になったエポックメイキング的な事象がまさにこの描写であり、この男こそ麻紀子を「奴隷女」に変貌させた人物なのです。

男の責めに無我夢中になり、最後には麻紀子は失神させられたのでしょう。
後述の通り、わけがわからなくなるほど一方的に男に責められたことは事実で、それほど男には余裕があった。
そのことから、おそらくはわけがわからなくなるほどの長い男の責めに麻紀子は失神させられ、そののち、膣に射精を受けたと考えるのが、正しいと思われます。



イラストは(1)「両手に手錠をはめられ監禁される麻紀子」、(2)「組織員の男に命令され、自ら全裸を晒す麻紀子」、を描いたものになります。
イラスト(1)は両手に手錠をはめられた麻紀子のアップで、アップにすることで両手の間に鎖が極端に短いことがわかります。
これだけ短かければ、極度の筋肉痛などの肉体的苦痛がたちまち起こるでしょうし、寝起きや食事ですら多大な支障があることが容易に想像できます。
このことから、組織が麻紀子に微塵の憐憫すら示さず、長期間の監禁を想定していないことがわかります。
(2)のイラストですが、男の命令で全身を晒す麻紀子が描かれています。
麻紀子は正面への視線を避けており、手前側にいる組織の男への嫌悪感が、絶望感に充ちた表情から感じられます。
まるでミロのビーナスを彷彿とさせる裸身です。
つんと尖った乳首は大きくもなく小さくもなく、豊かな乳房は大人の男の手の平より大きく、美しく描かれています。
引き締まったウエストから豊かな腰とつづき、陰毛と影の違いは明確に描かれていませんが、剛毛という印象は感じられません。
そして太もも。
腰からつづくなめらかな曲線はとても美しく、脛はとても長く、長い足として描かれています。
最後は、奴隷の象徴たる足首の足枷。
これは文章にはない表現です。
両方の足枷をつなぐ鎖がそこそこ長く描かれていることから、いちいち外さなくてもある程度は支障のない長さと思われます。また、ふつうに歩く分には支障はないでしょう。
ノベルズ版の上巻表紙では、床に跪き、尻をこちらに向けて男に奉仕する麻紀子が描かれ、下巻表紙では男の凌辱に感じて貌をのけぞらせる麻紀子が描かれています。
この麻紀子の全身イラストは、読者サービスとして、補完の意味も込め、描かれたのではないかと考えられます。

Scan10090-1.jpgScan10333-1.jpg

★著者:安岡 旦 山野辺進
★販売元:東京スポーツ新聞社 徳間書店
★この画像は、作者、出版社などの原権利者が著作権を保有しています。
★この画像は、純粋に作品の紹介を目的として、引用しています。
★画像使用に対し、原権利者からの削除指示がある場合は即座に削除します。
★掲載画像の再利用(複製・転載・プリント)は固くお断りします。
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